12. 昭和49年茨城国体 オープニングに参加して/寺門 博子さん(那珂市)

 「入場、皆行くよ!」私は胸がドキドキ。天皇皇后両陛下、私たちの茨城の唄「あみのし唄」の踊りを見てくださいと心に念じながら踊りました。無事皆しっかりと踊って終わりました。涙が出そう・・・。外へ出ました。みんなありがとう。涙がでました。よかった・・・の一言。

 役場から「博子さん、水戸の集まりに行ってくれ。」とのこと。私は「何の集まりなんだろう?」と思いながらも、「何でもいいから行ってくれ!」と言われ、私一人で行きました。「国体に参加するので、瓜連からは100人集めてください。」そんな無謀な言葉に私はびっくり。瓜連へ戻って私一人ではとても駄目ということで、役場の小沢さんという方と二人でなんとか100人集めました。
 観客は上から見るということを意識し、何回も繰り返して整列の練習をしたことが思い出に残っています。リハーサルの前に全員で集合すると、麦わら帽子にゆかた、ズックとその姿にみんなで笑ってしまいました。
 本番当日は、揃いの着物で紅い花をつけ、紅いはなおの草履をはき、ぬげないようにしばりつけて履きました。100人の方たちが一人も休むことなく踊れたことが、本当に印象に残っています。そして、その時のことを思うと今でも涙がでます。45年ぶりの茨城国体を楽しみしにています。

*網延唄(あみのしうた)
茨城県那珂湊市の民謡。宮城の漁師に歌われた『浜甚句』が同地に伝わり、歌われるようになった。


昭和49年茨城国体の思い出や体験談などをお持ちの方は,以下のページより情報をお寄せください。