16. 茨城国体山岳競技の思い出/ペンネーム:風 人さん(日立市)

山岳競技行動役員の当時の服装

山岳競技行動役員の当時の服装

山岳競技は、当時はオープン競技であった。天皇杯の得点種目になったのは、昭和55年の第35回栃木国体からである。競技内容は、縦走登山競技、踏査登山競技の2種目で、一般の部は1チーム3名、高校の部は2名がそれぞれ監督と共に各県から参加した。縦走登山競技は、定められた重量の装備を背負って行動し、基礎体力、装備、チームワーク、歩行技術等に重点を置いて審査が行われる。踏査登山競技は、定められたコースをチームの判断で、正しいルートを辿って登山するものである。地形図の読み方やコンパスの使い方が要求され、踏査に要した時間で競う。そして、テントの張り方の幕営技術や安全面での配慮など、登山に必要な総合的な力が審査の対象となる。

幕営地点での歓迎

幕営地点での歓迎

茨城国体のことを思い出すと、一番に思い浮かぶのは準備段階のコース調査である。山岳競技は、大子町、山方町、水府村、里美村にまたがる奥久慈山域で実施することになった。山岳連盟側の国体の準備は、登山コースの選定から行われた。高い山のない茨城県で、遠来の選手に楽しんでもらえて、さらに競技に適したコースを選定することは容易ではなかった。何度も集会を開いて協議した。各山岳会がコース調査を分担した。

行動中の声援

行動中の声援

既成のコースと違い、新たに開拓設定した登山コースなので、ルートの正確な情報が少ない。コースの正確な距離が必要となる。高低差を平面図で表した地形図上からは、正確な道程を求めることができない。実際にコースを歩いて実測することになった。私の所属山岳会では、50mのひもの両端を二人で持ち、道がカーブしている時には、間に人が入って紐を支えて、歩く道筋の正確さを期して測定した。コース長が5kmあれば、100回印をつけながら歩いたことになる。高度差のある山道での測定であり大変な作業であった。週末に出かけて、近くの集会所に特別泊めて頂いたりしながら測定した。

競技役員のメダル

競技役員のメダル

また、一方では競技役員の養成も行われた。私もそれに合わせて、国体の2年前に山岳指導員資格を取得した。『水と緑のまごころ国体』ということで、行動役員の服装は、緑色の長袖シャツにグレイのニッカーズボン、ブルーのロングソックスを履き、緑色の小型ザックを背負った。

国体当日は、早くから、現地に入り、開会式が終了して選手が到着するのを待った。私は班長として、茨城県が組み込まれているBコースを担当した。選手と共に、4日間山中行動をした。幕営地点に到着した時の地元の方々の温かい歓迎・接待は忘れられない。山の中を歩いて疲れて到着するだけに感激もひとしおである。第27回鹿児島国体では、私も茨城県選手として参加し、地元の歓迎を受けた経験があったので感慨深いものがあった。

終了して閉会式会場まで大子町を行進した時も忘れられない。達成感というより、やっと、終わったという安ど感が強かった。その日の山岳会での打ち上げ会では、仲間と涙を流した。それほどに皆一丸となって準備をして携わった。一緒に行動した役員の寄せ書きは、居間の壁にしばらく張っていた。一生懸命に山登りをやっていた頃の懐かしい思い出の一こまである。

行動役員の寄せ書き

行動役員の寄せ書き

あれから41年……。山岳競技は競技内容も変わった。2019年の茨城国体ではスポーツクライミングの「ボルダリング」と呼ばれている競技が行われる予定である。今度の国体の頃は70も半ばを越しているが、機会があれば裏方として遠来の選手を歓迎したいと考えている。

≪ 近況や現在のご活躍の状況 ≫
国体後は、山岳会会員として山登りを楽しむと共に、山岳連盟所属の指導員として講習会等で、登山技術や安全登山の考え方を伝達してきた。その過程で、中高年登山者の遭難事故多発の現実に接し、何とかならないものかと心を痛めた。山岳会に所属しない一般の登山愛好者を対象に講習会を開催していただき、安全に山登りを楽しむことが出来るようにとの思いから、自主グループの指導・育成に携わってきた。
現在は、長寿命高齢化社会を背景に、寝たきりにならない様に、健康で老後を過ごせる一助になればとの観点から、高齢になっても楽しめる登山、生涯スポーツ「安全登山」の普及啓発活動を行っている。
ほんの片隅での活動であるけれど、できるだけ多くの方々に、無理のない安全な山登りを楽しんで頂ければと願っている。私は山登りが好きなので、同好の方々と一緒に近くの山を歩き回り楽しんでいる。


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