18. 炬火リレーと剣道/ペンネーム:元剣道少年さん(青森県)

ax?I?@?3?E協和町で炬火リレーに参加いたしました。当時の炬火リレーのコースは、下館市から協和町に入り、明野町(現在は、3市町とも筑西市)に抜けていくもので、協和中学校の男子生徒が交代でリレーしていく形が取られました。

当時、茨城県内の中学校では、陸上部が存在せず、県の陸上競技会には、事前に校内で行われた陸上競技会で上位の成績を収めた生徒が選抜されて出場するシステムであった関係から、リレーのメンバーについても、同様に長距離走の成績上位者から順番に選抜されました。

選抜されたメンバーは、授業終了後のホームルームと掃除の時間にグランドに集められ、はじめは持久力をつけるための練習をし、全員がきちんと走れる様になってからは、足をそろえて走る練習を繰り返しさせられました。特に大会旗を持って走るメンバーは、足がそろわないと旗が波打って見栄えが悪いことに加えて、転ぶ心配があった事から重点的に足をそろえて走る練習を繰り返しました。当日までには、練習の甲斐もあり、メンバー全員の走力は、飛躍的に向上し、全員が足をそろえてかなり早いスピードで走れる様になっていました。

こうして準備万端で当日を迎え、それぞれが中継場所で待機をしていたのですが、予定の時間になっても下館市から炬火がなかなか到着しません。当時は、今と違って、携帯電話などありませんから関係者や引率の先生方も何が起こっているのかを把握できず、みんなでやきもきして到着を待っていたところ、かなり遅れて炬火が到着しました。遅れた理由については、下館市の代表であった下館一高の生徒が、緊張の為に途中でばててしまって大幅に遅れてしまったのだと後で引率の先生から聞きました。

当時は、そのようなことは判りませんから、先生から急いで走って遅れを取り戻すように指示され、みんなで一生懸命走りました。沿道には、地元の方々やメンバーの家族が応援に駆けつけてくれており、大きな声で応援をしてくれていたようですが、緊張していたのか、誰にどんな声をかけてもらったのかも判らない状態で、ただただ夢中で走った記憶しかありません。練習中は、ただつらいだけでしたが、事前に十分に走る練習をしていたことが、きちんと走れた要因になっており、今更ながら事前準備は大事だなと感じております。

国体開催中、下館市は剣道の会場になっていました。私は、協和町の新治小・中学校剣道部(現・協和剣道スポーツ少年団の前身)に所属していましたのでクラブの友達と青年男子の試合を見に行きました。当時は、生で大人の剣道の試合を見ることなどはほぼ不可能な状況でしたから、初めて見た、剣道の試合での大人の剣捌きの早さや正確さに非常に感動いたしました。また、このとき初めて二刀流があることを知り、非常に興奮したことを今でも覚えております。次回の国体においても、筑西市は、剣道会場になっています。

今では、テレビ等で剣道の試合を見る機会も増えましたが、特に田舎では子供たちが、生で大人の真剣勝負を見る機会はそれほど多くはないと思います。あの、試合の迫力は、一度見ると忘れられないものです。若い剣士の皆さんには是非、剣道会場に行ってもらって、生の迫力をその目で確かめて、今後の剣道人生に生かして頂きたいと切望いたします。


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