24. 陸上,高校100m・共通リレーに出場して/川島 敏男さん(石岡市)

前回の昭和49年国体に,私は高校3年生で,陸上の100mと共通リレーに参加しました。国体が行われる数か月前のインターハイでは,100m決勝で7位という結果に終わり,非常に悔しい思いをしました(当時は6位入賞だったので,6位までの選手が取材を受ける中,7位の私と8位の選手は取材ルームに入ることもなく競技場を後にしました)。

その時の悔しさが,その後の選手生活のベースとなりました。茨城国体の2年ぐらい前から週末に笠松で強化練習会が行われました。笠松近くの民宿に泊まり,合宿も何度も行なわれました。高校の授業日と重なる時もあったので,授業との兼ね合いが大変でしたが,茨城国体では100mで3位に入賞することができ,インターハイの悔しさを晴らすことができて,自信をつけることもできました。人生初の入賞がこの茨城国体でした。

24. 陸上,高校100m・共通リレーに出場して/川島 敏男さん(石岡市)当時のリレーは,高校生1名,教員1名,成年2名の4名でチーム編成がされていました(走順は各チームに任されていました)。リレーは個人種目と違い,チームとしての一体感が感じられ,地元開催なので何としても入賞という気持ちで,チームで何度も繰り返しバトンパスの練習を行いました。当日は完ぺきなバトンパスができたと今でも思っています。私が第三走者でアンカーの友永さんは当時の400mの日本記録保持者で,オリンピックにも出場された方でした。

高校3年生から31歳までに9回国体に出場することができました,大学4年の時にはインカレで優勝し,教員1年目にはユニバーシアードのメキシコ大会も出場することができました。すべてのスタートは,インターハイの悔しさを晴らした昭和49年の茨城国体だったと今でも思っています。

3年後の茨城国体に向けて,がんばっている選手には「失敗しても次があるので,落ち込まずに目標をもって挑戦してほしい」と思います。


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