34. 競技役員/中山 清さん(土浦市) 

 昭和49年,29歳だった私は土浦市役所職員として勤務していました。開会式には競技役員として行進にも参加しました。まっすぐ前を見て行進,手足の振りあげなどの細部にわたり,何度も集まって練習をしました。茨城国体で,1番思い出に残っていることは,競技のことではなく,とにかく土浦から笠松陸上競技場が遠かったということです。当時はまだ常磐道が開通しておらず片道1時間半かけ,毎日自宅から笠松運動公園まで通いました。本当によく通っていたと今でも思います。
競技が始まり,陸上の競技役員として召集係に携わりました。召集係の仕事は選手のコールを行い,スタート地点まで誘導する仕事でした。ほとんど競技場の外での仕事だったので,残念ながら競技を見ることは全くありませんでした。当時は茨城県全体に「なんとしても天皇杯を取るんだ」という意気込みが大会前からあり,県をあげて国体に取り組んでいました。

 2年後に迫った2019年の茨城国体では,地元の選手に,ぜひ頑張ってもらいたい。そして選手だけではなく,大会を支えている全ての人たちが一丸となって国体を成功させてほしい。

中山 清さん(茨城県陸上競技会副会長)


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