35. 集団演技を指導して・・感動の思い出/皆川 悠美子さん(日立市) 

 昭和46年4月多賀中学校へ体育教諭として赴任,国体開会式の集団演技中学校の部が日立市に決定,演技中心校は多賀中学校になり,その演技内容の検討メンバーになりました。当時中体連の事務局もあり,事務局長の矢代久雄先生,女子体育の大先輩(故:神長ヒデ先生)を中心に検討委員会を立ち上げ,当時の国体担当の県指導主事(故:鈴木敦先生)のご助言を受けながら演技内容づくりに話し合いを重ねました。机上案ではイメージがわかず,笠松グラウンドの1,000分の1の縮尺図をプリントし,「水と緑のまごころ国体のイメージをどう表現するか」と話し合い,プリントに作図し,動線を描き,2,000人の中学生をどのように動かすか,時には市内の体育教諭会議を開き,中学生らしいスピード感あふれる演技はどうか,波の演技はどのように表現するかを何十枚もプリントに作図したことを覚えています。

 モデル校として,何度も何度も演技の繰り返し,体育の授業は集団演技とその当時の中学生は覚悟してくれていました。時には走るスピードはこのぐらいではどうか,先生それは一寸きついよ等,生徒達からも意見が出て,教師,生徒と一体感が肌で感じられるようになったときは,なんとしても開会式の演技を成功させたいという気持ちになったことを覚えています。

 今でも思い出すと緊張感が走るのは,演技開始のスタートで日立市内男子中学生全員が7列になり,第4ゲートから全力で走りだし,走りながらグラウンドの中央で7重の渦を作り,逆走に入るという演技でした。生徒の逆走の瞬間の危険度の話し合い重ねた教師たちの心配をよそに,生徒たちはものの見事に表現してくれました。同時に女子生徒はメインスタンド前とバックスタンド前を波の表現をするために先頭から100メートルを全速力蛇行走しました。走ることが苦手な子を配慮しながらそれぞれの学校の工夫がありました。

 最後に帆引き船を5艘引くことになり,ここも男子中学生の見せ所でした。担当中学校を決め,船の引き方を話し合い開会式当日の風向を計算し,グラウンドいっぱいに帆が張れるように男子生徒と話し合い,それぞれの担当中学校の男子教諭が生徒と同じ服装をし,失敗は許されないとばかり生徒と一体になって,笠松競技場を走りました。
約4年間「水と緑のまごころ国体」集団演技に関わり,大集団の指導の仕方,声のかけ方,指導者の協力体制組織の立ち上げ方等,体育指導教諭として大変勉強になりました。その後の教員生活に生かすことが出来ました。退職して15年,今でも当時の女子体育指導者仲間と年に数回,国体の思い出話で一夜を楽しんでいます。

【2019年国体へのメッセージ】
「各市町村の特徴を盛り込んだ思い出に残る大会を・・・」


写真:多賀中学校のサッカーグラウンドで,モデル校として演技の発表をしているところです。波の表現,うねり,岩の表現として,市内の先生方に見ていただき,何度も話し合いを進めたころのひとコマです。この姿を見ると,本当に生徒に感謝の一言です。


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